
天才・・・自分の直感で起業する。
秀才・・・キャリアのピーク時に起業する。
凡才・・・タイミングがわからずやむなく起業する。
- 天才
天才は人・モノ・金・アイデア等、点と点が線や面になったときに行動を起こします。別に誰の指図もうけませんし、社会があなたを望んでいるかどうかそんなことも気にしません。しいていえば、あなたが社会を望んだときに起業します。
天才は準備を怠りません。その「点」を自分に保存しておきます。
三国志の諸葛亮が「事を計るは、人にあり、事を成すは天にあり」と言っていました。宗教でいうと「天」は神様のことを意味しています。五丈原の戦いのときに、諸葛亮の火計で魏軍が壊滅しそうになったときに雨が降ってきてしまいました。諸葛亮が雨のめったに降らない時期を選んだにもかかわらずです。これはもはや「天が・・・」という以外に自分を慰めるセリフもありません。
「点」は「天」につながっているのでしょうか。点が線や面になったときに天才はピンときたという表現を使います。点が面になったときに初めて天に通ずるといっておきましょう。
しかし逆にそれは単なる自分の思い込みであることもないわけでもなく、それは天才ではありません。天才とバカは紙一重と言いますからね。
点が線や面になっておらず、一つの点かあるいは複数の点をみたときにピンと来てしまうのがバカです。だからうまくいきません。単なる勘違いですね。
- 秀才
秀才はキャリアのピーク時に起業します。長年働いてきて、出世できるにもかかわらず、惜しまれながら去っていきます。そういう人たちは、退職を伝えても強引に辞めてくるしかありません。でも本当に必要な人材ならば、お金でも使って引き留めるはずです。もっとも凡才から遠い秀才はお金だけでは動かないもので、やりがい等を含めた、会社や自分の将来を思い描いて残るかどうか決めるでしょう。そのときに凡才に近い秀才は、お金で引き留めることができます。所詮、その人の起業の想い等、その程度ですから。
あと、惜しまれるということは、単に会社が人を探すのが面倒とか、採用費にお金がかかるだけなことがほとんどです。秀才の代わりはいくらでもいます。
起業のタイミングは、自分がノリに乗っているときです。それは社会があなたを必要としているかどうかではありません。
秀才はサラリーマンに今までに築いた人脈を使って、最低限の生活費を稼ぐ能力は持っています。従って、起業しても大きな失敗はしないでしょう。
- 凡才
凡才は起業のタイミングがわかりません。タイミングがわからないので自分の誕生日とか、30になったからとか、勝手にスタートラインを決めますが、社会にとってはそんなこと関係ありません。また凡才は、休日出勤、毎日終電すぎの帰宅が続き、体を壊して辞めるしかありません。全ては後手で、行き当たりばったりです。起業のタイミングに合理的な主体性は全くありません。あるいは起業のタイミングを見計らっていると自分をごまかして、そのまま独立せずに組織にとどまったままです。そしてリストラされたら慌てるだけです。
- おわりに
天才は、事業のタイミングを逃しません。点を自分に常に保存し、点が線や面になったときに起業します。
秀才は、自分のタイミングを重視します。事業のタイミングは二の次ですが、彼らは自分の人脈を活用することで、卒なくお金を稼ぐことができます。
凡才は、タイミングを逃します。少なからず、自分の思い通りのタイミングや社会に望まれるタイミングで起業することはありません。